本日は大きな地震で走り回っておりました 汗
やっぱり怖いのかな?
一段落すると、気が抜けますね。
地震の時はもの凄く冷めてるんですよね、私の場合。
少なくとも自分ではそう思ってるのですが。。。そうでは無い様で 汗
気が付いたら、顔にくっつけてるにも関わらず、マスクを無くしてました。。。やっぱりドギマギしてるんだと思いました。
緊急放送を済ませ、当局メインパーソナリティーである遊佐夏子の「道の駅でのライブ」を楽しみ、(手前味噌で誠に恐縮ですが)夏子節全開のショータイムで、良かった良かった。。。と。

とても良いステージでした!
我々宮城県人にとって、地震や津波、洪水などの災害には「復興」という言葉が頭から離れないのですが、今日は戦国時代に大崎の復興を成し遂げた「鈴木元信公」についてちょっと書いてみようと思います。

1590年代は地獄の時代だと思います。
私の先祖を含む県南勢力と大崎氏の治める仙北勢力との武力衝突から、
太閤秀吉の野望に端を発する、名門北条氏討伐、宮城県人がこの祖国の実権を失いかけた奥州仕置、そして奪回を挑んだ葛西・大崎の乱を皮切りに東北太平洋側の地域が激しい戦地となり、まさに地獄絵図だったと思います。
我々県南勢力(伊達勢力)でも意見が二分し、宮城県人が一丸となって太閤秀吉たちと戦うか、秀吉側に立つか、非常に苦しい選択を強いられたと聞いています。県南勢力の首領、政宗についての賛否両論が未だに分かれる大きなポイントですね。
結果的に、決して誰にも満足の行かない結果となったのですが。
今日、大崎市一円、特に世界遺産とされる農地エリアや鳴瀬川流域に、ものすごい数の祠や神社、石仏、そしてお寺は、その爪痕を今日に伝えるものでもあります。
巨大戦争と混乱のあと、この地に天才が派遣されました。
それがこの鈴木元信さんでありました。
彼は今でいうところの天才的な政治家でもあり、財務大臣でもありました。
宮城県を有名にしたNHK大河ドラマ「伊達政宗」では、
名優「平田満さん」が素敵に演じて下さいました。とにかく財務計算やお金の作り方が天才的で、戦争よりも行政に天才的な才能を発揮した名君です。伊達政宗とて、鈴木元信さんの才が無かったら今日に名を残すことは無かったと思います。
彼が大崎に赴任し、現在の「古川第一小学校」の場所にあった古城を築き直し、そこに居住し、大崎エリアの復興に尽力します。

古川城の正門は、元信さんの菩提寺「瑞川寺」の正門となり保存されています。
その後の復興と発展はめまぐるしく、明治以降も宮城県北部の要衝/宿場町として栄えて、今日に至ります。
私自身、当局に赴任して市役所の皆様に挨拶回りをしているときに、この肖像画に出会い、感銘を受けました。
地獄からの復興。。やっぱり彼だったのか。。。と、5分以上も肖像画を見つめておりました。
今日、またもや大きな地震が来て。
2011年の震災で、本当に世の中が変わってしまったように思いました。
あり得ない考えですが、もし鈴木元信さんがあの震災の復興を切り盛りしてくれたら、現在の宮城県、きっと、もっと元気になってただろうな。。と。
そんな事を考え込んでしまった一日でもありました。
大崎の英雄、鈴木元信さんの魂。
大事にしていきたいなと思っています。
しかし。。。地震は疲れます。。。汗

我が家の主、政実公は段ボールシェルターに避難したままとのこと、我が家からの連絡があり(笑)
明日はよい一日でありますように。
元信さん、是非天国から見守ってください!
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