古城と三日月と~過去は水に流すこと~

古城と三日月と~過去は水に流すこと~

放送日記

宮城県には数多くのお城(その跡地)があります。

賛否両論あるのですが、公認/非公認合わせると腰を抜かす程。
その数や日本一の数を誇る事、あまり知られておりません。

それだけ地域性が高く、小さくは集落(いや、部族か)単位での独自性や社会的な対立などもあり、その足跡に触れると思うものがあります。

先日、涌谷で仕事をし、局へ戻る際に大好きな場所を通りました。

中目城の夕暮れと「三日月」
勇気づけられる瞬間でした。

田尻と松山の中間の鳴瀬川沿岸部の水田地帯に「ぽつんと浮かぶ島のような丘」があるのですが、ここは勇猛な武将-大崎氏四大老の一人である中目(なかのめ)と言う殿様の居たところです。

戦国時代、大崎氏の治める県北はかなり内部紛争が多く、リーダーである大崎氏を転覆させようとする一種のクーデターが幾度となく起きる状況でありました。

さて。中目の殿様をカギとしてのお話です。

仙台市南東部出身者である私から、是非大崎エリアの人々に知って欲しい事の一つを紹介したいものがあります。

我々仙台人の気質に「過去は水に流す」と言うものがあります。

え?と思うでしょうが。。。(笑)

あくまでも伝統的な尺度ですが、
大崎の人々から見た仙台や県南の人々に対する概ねのイメージは

・短気そして図々しい。
・早口で語彙が強い。
・揉めると倍返し。

と、良いイメージが無かったようです(笑)

しかし「過去は水に流す」のです。

よっぽどの事があったとしても、乗り越えてしまえば思い出と変わり、生まれる絆に期待します。現代では考えられない事ですが、
衝突=相手と知り合う切っ掛け。。。みたいな気質です。

そして「これから先に共に」と。

相手を認めて仲間となり、前へ進もうとすることを美徳としました。
決して支配と服従のみが答えでは無いのです。



さて、この中目城の主、中目家たち一派は、如何になったのか?

中目家はその後我々県南勢の勇者となり、今日に至ります。

大崎戦争、葛西大崎戦争、奥州仕置というすさまじい動乱があったわけですが、我々県南勢と双方「過去は水に流し」結束し、今日の発展があるわけなのです。

歴史物語では、県南勢の総首領、伊達政宗がそうであったと伝えていますが、彼のみでは無く、彼以上に多くの人々こそがそうでありました。

中目城と我々県南勢のシンボルである三日月とが夕日を背景に写るこの写真が撮れた時、今大崎で仕事をしている私にとって、とても象徴的だなぁと。。。こうあるべきなのだな。。。と感慨深かったです。

仙台に居ては見えなかったもの、沢山見せられる毎日を過ごしています。

まだまだワラビは採れますね(笑)
暖かくなってからの物は柔らかく太いのです。

「過去は水に流す」。。。を考えながら地酒を一杯。

現代は情報過多のせいか、逆説的に「過去どうだった」とか、変な感覚が表に出過ぎているようにも思います。

城だらけ敵だらけだった宮城県の足跡。
その数だけ大変な苦しみもあったかと思います。
「過去は水に流す」という感覚が無ければ、その当事者たちこそ生きて行けなかったのかと思うのです。
そして今日、現代の我々の生活があります。

過去は水に流す。。この感覚、とてつもなく大きな宝物だと思います。

そしてその「赦し」という強さ。

心の文化遺産。

現代社会においても、多くの物事を解決するのでは?と思います。

中目の殿様に乾杯!です。


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